朝日新聞の2月28日付夕刊に「ニッポン宝さがし」シリーズで「工女が開いた近代化」として富岡製糸工場が掲載されていた。
実は、大学時代の親しい友人たちと毎年2回ほど温泉旅行を楽しんでいるのだが、最近では、目的の温泉場の近くにある興味深い建築を訪ねることも計画に含むようにしている。
昨年末の旅行の際訪れた諏訪の片倉館は、数回前のブログに書いた通り「あゝ野麦峠」の舞台で有名な製糸工場である。
同じ製糸工場だが群馬の富岡製糸工場は、2010年夏の温泉旅行の会で見学している。少し古い体験ではあるのだが、この度の新聞記事に触発されて富岡製糸工場について記してみよう。
富岡製糸工場は明治5年創業だ。
「あゝ野麦峠」のような暗い女工哀史とは全く異なる女工さんたちであったという話は新聞記事に譲るとして、建築様式・工法について述べてみよう。
設計および監理は、フランス人建築家ポール・ブリュナーによるものであり、特に工場本体の構造は木骨煉瓦造と言われる工法で、主体構造としての木造に煉瓦積による面耐震の壁面で構成されている。
木軸は西欧様式のトラス構造であり、工場としての大空間を確保させている。
木骨煉瓦造という工法は非常に稀ではあるが大変に興味深いものである。
煉瓦や瓦は県内に作った窯で焼成し、木材は中之条の奥にある官林から切り出し、煉瓦の目地には下仁田産の石灰を用いたという。
つまり、フランスから輸入した窓用の板ガラス以外は近場で入手できる工法を考え出している訳である。
ちなみに、富岡製糸工場は官営の工場としてスタートし、明治中頃には三井に払い下げられ、更に昭和13年からは前述の片倉館のオーナーである片倉工業の富岡工場として運営されることになる。
この数年来、富岡製糸工場を世界遺産に申請しよういう動きがあるが、その願望の成就は別としても観光資源として維持管理に力を注いでいることは非常に良いことであろう。
追記:2011年12月のブログで、「上諏訪の片倉館」について記述した。
>>「上諏訪の片倉館」のブログはこちら
諏訪の片倉工業は、富岡製糸工場と共に、明治初期の輸出絹産業を支えた2大生産拠点である。
女工史として、その時代特有の悲哀が今日まで語り継がれているが、絹産業が明治期の飛躍的発展に寄与したことは疑うべきもない。
追記:2011年12月のブログで、「上諏訪の片倉館」について記述した。
>>「上諏訪の片倉館」のブログはこちら
諏訪の片倉工業は、富岡製糸工場と共に、明治初期の輸出絹産業を支えた2大生産拠点である。
女工史として、その時代特有の悲哀が今日まで語り継がれているが、絹産業が明治期の飛躍的発展に寄与したことは疑うべきもない。
(阿部 泰資)
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