2017年3月27日月曜日

北陸の旅

[北陸の街並]

長年機会を待っていた富山県高岡地方への旅が実現した。
「おとなの休日倶楽部」を利用した切符で、可能な4日間をフルに使い、高岡・新湊・井波・熊川宿・小浜と、素晴らしい環境が保全されている街並みを訪ねてきた。
北陸新幹線の開通で、大変賑わっているという金沢を除き、富山県と福井県に目的地を絞ったのである。


[高岡 山町筋]

高岡の山町筋には、明治期の大火後に耐火構造が義務付けられ、黒漆喰を塗った土蔵が切妻平入で50棟も連なる様は壮観である。現在は当然、重要伝統的建造物群保存地区の指定を受け、街ぐるみで保全に努めている姿勢がはっきりと窺える。

何軒かは観光客に店先を開放しており、重要文化財の菅野家住宅はボランティアの方々が内部を案内してくれている。北海道との通商で巨万の富を築いた高岡有数の商家であり、明治期からは高岡の近代化に貢献する一方、高岡政財界の中心的な存在として活躍された名家とのことである。メノウを砕いて塗った瑪瑙壁の床の間や、屋久杉の天井板、我々には想像を絶する仏壇など、富の一部は体感することができる。


 [高岡 金谷町]


高岡の千保川の対岸に鋳物師達が移住して街立された金屋町は、通りに面して切妻平入で2階の両端に袖壁を付け、1階の柱間に格子戸を嵌め込んだスタイルを基本としている。


通りに面した母屋の奥に、中庭を挟んで鋳物の鋳造所を持つ土蔵を配している。
現在も鋳造が盛んで、若手の芸術家や職人が新しい感覚で大小様々なものを制作し、観光客向けに販売もている。一般的な観光地のみやげと異なり、作者が見え、オリジナリティ豊かな品々は非常に興味深いもの揃いである。

「ねっとこ金屋」というサイトで、金谷町の紹介の一つに「さまのこ(千本格子)マップ」があり、重要伝統的建造物群保存地区内での改築にも注意を払った保全の意識が伝わってくる。

[井波 八日町通り]

井波瑞泉寺の参道である八日町通りは、彫刻の街として特徴付けされている。参道沿いの店先で職人さん達が欄間の彫刻を彫っていたり、小物を販売していたりである。現在は町当局が、一般の町屋の店先を借り上げ、仕事場を持たない職人さんに開放しており、彫刻の街としての賑わいを確保し続けようとの取組は興味深いアイディアだ。


彼らの作成した彫刻は、軒に掲げる看板や、店先の看板、交通広場の櫓などストリート・ファニチャーとしても機能している。


[鯖街道 熊川宿]


鯖街道の宿場町としての風情を今に残す熊川宿は、浅野長政が諸役免除の宿場に指定したことにより発展した宿場町である。観光地としての宿場以外発展する要素もなく、重要伝統建造物群保存地区として、まさにロケーションが保存されてきたのである。


路に面して平入と妻入が混在しており、二階建ての町屋の中に、「逗子二階」と言われる低い二階の町屋も見受けられ、現在の宿場に至るまでの歴史(年数)を感じる。

町に寄贈された旧逸見勘兵衛住居は、建築家の吉田桂二氏の監修による改築工事がなされ、内部が公開されている。2階は宿泊に供されるよう改修されているものの、街道側の登り梁に沿った低い天井が往時を偲ばせる。





2016年8月24日水曜日

桐生新町の街並

 
今年の夏季休暇は、早めの予定を組まなかったので、群馬と栃木という近場で過ごした。
群馬は母の故郷であり、栃木は私の出身地である。
群馬県桐生市にはかつて母の実家があり、私は小学生のころ姉と二人で毎年夏休みの1ヶ月を叔父の家で過ごしていた。西の西陣・東の桐生と言われた織物の街として栄え、当時は幡屋(織物工場)も多く、道端を流れる細い水路が常に色々な色に染まっていたことを覚えている。
工場が激減したとはいえ、織物の街を前面に特色のある街として活性化を図ろうとしている。観光客向けに織物会館での展示をはじめ、現存する織物工場での工場見学や織物体験など街を挙げての「まちおこし」に取り組んでいることが見える。
 

 

今回、私の主な目的は「桐生新町」と称されていた古い町並みを訪ねることにあった。現在の町名で本町一丁目、二丁目の本町通りに面している部分が保存地区とされている。
保存地区の入口には、味噌屋として栄えた「有鄰館」があり、蔵も見学者に開放されている。
  

     

江戸時代初期から、北端の天神様を基点に、道幅5間の通りの両側に短冊状の敷地を配し、近隣からの入植者を募集するといった当時としては珍しい計画的な街づくりであったとのことである。通りと敷地が微妙に矩手とズレており、家々のファサードが互いに醸し出すリズムが心地よい。このリズムは、我が田舎の栃木市にも見られる現象で、古い街並で時々体験するものである。
  
   
  

本町通りを北上すると、北の端で天神様に突き当たる。
          

タクシーの運転手さんには「桐生新町」が通じなかった。本町道りの北の方と言って乗車したら、有鄰館のあたりですかと聞き返された。近隣の村が合併して桐生町となった頃の地名だそうで、若い人には「桐生新町」は通じないのかも知れない。
保存地域に指定し、特定街区として環境保全に取り組んでいる合言葉として「桐生新町」という名称が広く知られれるようになってほしいものである。
(阿部泰資)

2016年5月26日木曜日

ル・コルビュジエの17作品が世界遺産へ



ル・コルビュジエの作品群を世界遺産にしようとの活動がスタートして、紆余曲折の末、今回の推薦書提出を受けて20167月発表時に世界遺産として認定される見通しである。

先週の講演会「わが国の近代建築の保存と再生」第15回「世界遺産の観点からみたわが国の近代建築」において、元文化庁の役人でイコモス会員・日本ユネスコ委員会委員長代理として日本の世界遺産申請に関しスイスやオランダで活躍されてきた稲葉信子氏(現筑波大学大学院教授)の講演を拝聴してきた。氏は法隆寺や姫路城などの申請時から世界遺産登録に関わって来られたのだが、講演会の趣旨に従い、近代建築が世界遺産に登録され始めた経緯から、ル・コルビュジエの作品群の扱いに苦慮してきたことなどが中心の話であった。

世界遺産に近代建築を「近代建築・近代遺産」として登録しようとの機運は早くからあった訳ではなく、最初の登録が1984の「アントニオ・ガウディの作品群」である。その後、ブラジリア、バウハウス、リートフェルトのシュレーテル邸、ヴィクトール・オルタの邸宅群、ミース・ファン・デル・ローエのトゥーゲントハット邸などが続き、シドニー・オペラハウスに至る。当然のこととして、ル・コルビュジエの作品群をどう扱うか、世界遺産における近代建築の評価基準をどうすべきかが大きな問題となってくる。少なくとも建築家の存命中は無理であるとか(シドニー・オペラハウスはヨルン:ウッツオンが存命であったため審議延期になった経緯がある)、建設後最低25年は経過していることなどとの興味深い話を聞くことができた。

世界遺産候補として「ル・コルビュジェの作品 6か国22資産」が最初に申請された2008の時点では、ユネスコの諮問機関であるICOMOSは「記載延期」と勧告した。続いて2011に「6か国19資産」として情報照会した際にICOMOSは「不記載」(世界遺産の価値なし)の勧告を出した。しかし、世界遺産委員会は、1段階戻し「審議延期」として、世界遺産登録の可能性を残した。

現在の推薦内容は下記の通り、チャンディガールを含み、7か国17資産となっている。

フランス:ジャンヌレ邸、ペサックの集合住宅、サボワ邸、
     ナンセジュール・エ・コリ通りのアパート、マルセイユのユニテ、サン・ディエの工場、
     ロンシャンの礼拝堂、カップ・マルタンの小屋、ラ・トゥーレット修道院、
     フィルミニの文化と青少年の家
スイス: レマン湖畔の小さな家、イムーブル・クラルテスイス
ドイツ: ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅
ベルギー:ギエット邸
アルゼンチン:クルチェット邸
インド:チャンデガールのキャピトル・コンプレックス
日本: 国立西洋美術館


上野の国立西洋美術館

今年は、フランク・ロイド・ライトの審査も行われる予定だそうである。
今後、日本から推薦する近代建築はどのような概念で選定すべきであろうか?
例えば、丹下健三さんの代々木のオリンピック競技施設などと単純に言えるものではなさそうである。

近代遺産の登録に向けて最初からリードしてきたオランダの経緯を考慮すると、リートフェルトのシュレーテル邸の早期登録は理解し易いものの、メキシコのルイス・バラガン邸と仕事場の登録に至っては、どうしてコルビュジェの作品が落選を繰り返すのか理解に苦しむと言えよう。
それぞれの申請内容や選定理由などをみても、コルビュジェの作品をイメージして読んでも違和感がないようなものであるらしい。つまり、今後選定基準をより明確にして行く作業が重要になり、世界中の多くが納得できる基準を期待したいものである。

かつて、1994年の世界遺産委員会の専門家会議で、それまでの遺産リストがヨーロッパの文化、キリスト教、選ばれた者の遺産などに偏っていたことを反省し、「文化の多様性への尊敬を込めて、より広い人類学的見地から、世界遺産の枠組みの充実と世界遺産リストの信頼性確保のための努力を行う」と高らかに宣言したことがある。
今や、世界遺産(自然遺産を含む)の選定基準に真っ向から非難する方々は少数派と言えるのかも知れないが、近代遺産についてはこれからということであろう。建築に携わる我々としては、近代遺産リストにおける近代建築の推移に注目して行く必要があろう。建築が社会にどのような影響を与え、どのように評価されて来たかを、世界中の一般認識として再確認する機会となるであろう。
 

参考文献:稲葉信子氏の配布資料、文化庁「世界遺産と無形文化遺産」


私は、最近の約1ヶ月間で、4回も美術展に行ってきた。
1.村上隆の五百羅漢展
2.村上隆のスーパーフラット・コレクション
3.レオナルド・ダ・ビンチ展
4.若冲展

更に、西洋美術館の「カラバッチョ展」にも行こうと思うのであるが、今回の世界遺産のニュースで長蛇の列との噂なので、当面、時期を見計かろうと考えている。

(阿部泰資)