私が訪れたのは一昨年であったが、この時期に合わせて、他に類を見ない町衆の際について述べてみよう。
山あげ祭りは、江戸時代享保年間から歌舞伎を取り入れた祭りとなり、江戸末期には野外歌舞伎として現在の形が定着したと言われている。昭和に入り、まず県の国重要無形民俗文化財として指定を受け、更に国の重要無形民俗文化財に指定される。
6つの町が順番に「当番町」となり、演目を決め、「やま」と呼ばれる舞台背景などの路上歌舞伎の装置作りから運営までのリーダーを担当する。狂言の舞台後方に位置する路上100メートルの間に「大山」、「中山」、「前山」、「館」などを配置する。「大山」は10メートルを超える程の高さとなり、それぞれの「やま」には仕掛けを施しておき、狂言の進行に合わせて「やま」の表情を変え、大スケールでの野外劇として観客を楽しませる。「やま」は角材、竹、そして名産の烏山和紙で作り、移動し易く軽量化を図る。
狂言が終了すると、すべての道具類は片付けられ、次の上演場所まで移動させることになる。150人からの若衆が一糸乱れぬ団体行動で片付けをする中、常磐津の三味線にあわせ踊り子達が美しい舞を披露する。
次の上演箇所と定められた路上で、もう一度最初からの舞台作りが始まる。各上演場所では、当番町によって予め決められた演目が上演される。明日は図書館前で、蛇姫様を見に行こうなどと話し合っている方もいた。
演目は「将門」や「蛇姫様」などが多いのだが、今年は「将門」、「蛇姫様」の他に、久しぶりの「乗合船」も演じられるという。
常磐津の三味線と唄、舞踊は、地元の小中学生、高校生と女衆の「山あげ保存会芸能部」が担当し、3日間のために一年頑張って準備をする。一方、若衆と長老は「やま」を担当して、夜な夜な制作に励む。
これが楽しみでもあり、地域コミュニティの核として機能しているのである。都市化と共に希薄になってゆくコミュニティにとって、祭りは重要な起爆剤だ。
これが楽しみでもあり、地域コミュニティの核として機能しているのである。都市化と共に希薄になってゆくコミュニティにとって、祭りは重要な起爆剤だ。
今年3月に「烏山の山あげ祭」が日本政府の決定により、全国にある33の国指定重要無形民俗文化財である祭礼行事と一括されて「山・鉾・屋台行事」という名称で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産の代表一覧表への記載を目指して、フランスのパリにあるユネスコ事務局に申請されたというニュースが飛び込んできた。
(阿部泰資)







