日本における花見の起源は、奈良時代に貴族たちが梅を愛でる習慣を持ったことが始まりと言われている。
その後、平安時代に桜へと変わってきたのだそうで、特に吉野山は桜の名所となり持統天皇が何度も花見に訪れたとの記述もある。
更に、豊臣秀吉が醍醐で盛大な花見を開催した頃には、庶民にも花見の楽しみが身近なものになったとされている。
一方、江戸の庶民にも花見の風習が定着するのは、徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせ、花見を奨励するようになるまで待つことになる。江戸時代中期に、江戸郊外の染井村にあった植木屋が品種改良したソメイヨシノが、花見文化を広く定着させることに大きく寄与したと言えるであろう。
今日「花見」と言えば一般的にソメイヨシノを意味し、報道による桜の開花状況はソメイヨシノのそれを意味する。確かに、同時期に一斉に開花し短命の潔い散り際となるソメイヨシノは、日本人の人生観や無常観に訴えるものがある。
かつて、自称日本通のドイツ人である我が友人が桜の時期に来日した際、「世の中に 耐えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」の心情を説明することに苦労したことがある。
わずか10日前後の花見期間に、風が吹いたり雨が降ったりする毎に散ってしまうのではないかと心配になることが、日本人にとっての春の楽しみのひとつと言えよう。
しかし、日本人以外の文化圏で育った人々には、桜に対する日本人の心情は所謂「わびさび」よりも理解しにくいものであるらしい。
私も、人並みに桜が好きである。今年も何か所か花見に行った。
上野の東京都美術館に「エル・グレコ展」を観に行ったのがシルバーデーである第3水曜日の3月20日である。
今年の桜は、例年に比べ非常に開花が早く、その日、既に上野の桜は8分咲きであり、花見客が大変な数になっていた。
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ソメイヨシノは受粉ができない自家不和合性の性質をもっており、桜並木は全てクローンだということが一斉開花をもたらす。
この短命さに、人々も一斉に花見に出かける。
週末の23日は、目黒川の花見に出かけた。
目黒川は細い川であり、川の両側4キロ程に植えられた800本もの桜の並木が名所となっている。
川には細い橋が何本も掛けられていて、花見の特等席である橋の上も大変な人ごみであり、時に車が横切る祭は警備員が大声を上げていた。
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ソメイヨシノの桜並木も良いのだが、最近私はとみに一本立のエドヒガンやシダレザクラの大木が気に入っている。
今年は、栃木県の北部に足を延ばしてみた。どうしても花が咲いている時期の西行桜が観たいと思っていたのである。
那須近郊には、お寺の境内や墓地にはかなりの大木の桜が存在する。
それらには名前が付けられており、今回は「寺子の桜」、「山の神桜」、「法真寺の桜」そして「西行桜」を観て歩いた。
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寺子の桜
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山の神桜
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法真寺の桜
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西行桜
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西行桜と名付けられた由来は、西行法師が奥州行脚の折、立ち寄った下野国湯の上村にある光丸山法輪寺のシダレザクラを観て、「盛りには などか若葉は 今とても 心ひかるる 糸桜かな」と詠んだ伝えられていることによる。
約800年の樹齢と言われている大木である。同境内にはエドヒガンの大木が並んで立っており、家族連れや写真ファンで賑わっていた。
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新古今和歌集にある歌でも、宮廷歌人であった俊成と比較され、「春風の 花を散らすと 見る夢は 覚めても胸の 騒ぐなりけり」が、若くして出家し野に下り旅人であった西行の時空を超えた深い宗教観が感じられる歌風として有名である。
満ちた月は欠け、咲き誇る桜もやがては散ることを人生に重ね合せた日本人の無常観は、月と桜を愛した西行の歌により確立されたとみることもできるであろう。
そういえば、40年程前に良く能を観に行ったものだが、ついぞ世阿弥の能「西行桜」を観る機会には出会えなかった。余生も短くなった今、素晴らしい桜を観て歩くチャンスを大事にして行こうと考えている。
(阿部 泰資)










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