2013年7月26日金曜日

黒羽での一日

栃木県の黒羽(現 大田原市黒羽)に行って来た。

「大田原市街かど美術館」の第21回として「ぶらりぶらり美術散歩イン黒羽」が開催されており、会場となっている「猪股英毅邸」と「黒羽藍染紺屋」の見学が主目的である。

早めに着いたので、時間つぶしに黒羽城址公園のアジサイを観にゆくことにした。黒羽城址公園では紫陽花まつりが開催されている。

紫陽花-1 紫陽花-3
紫陽花-2 紫陽花

ガクアジサイが元々日本固有種で、シルクロードを経由して欧州に渡り、品種改良され逆輸入されたのがホンアジサイだということは広く知れわたっている事実のようだ。しかし、アジサイが紫陽花と記述されることに関しては、唐の詩人白居易がライラックか何か別の花に付けた名前を、平安時代にある高名な方がアジサイにこの漢字を当てたことから誤って広まったものと言われている。

また、花の色がよく変わることから、「七変化」「八仙花」とも呼ばれてもいるようで、土壌のpHによって青か赤か決まるとよく言われる。しかし、アルミニウムがアジサイの根から吸収しやすいイオンになる弱酸性の土壌かどうかによるのだそうで、アルミニウムが花のアントシアニンと結合すると青色になり、アルミニウムを吸収しないと赤色になる化学反応であるとのこと。アルミニウムを有する土壌で計画的な弱酸性の堆肥造りにより全てを青い紫陽花にしている鎌倉の明月院にその原理を確認することができる。

日本でのアジサイの人気は、戦後のことのようだが、今や全国にアジサイの名所は数限りない程になっている。黒羽の他に栃木県では、栃木市の太平山神社表参道のアジサイが有名だ。1000段の石段の両側に西洋アジサイ、額アジサイ、山アジサイが咲き競う様は壮観で、近年は首都圏から観光バスを連ねて訪れるようになっている。

前回のブログは「日本人と桜」であったが、アジサイもまた日本人に広く親しまれている花であるといえるのではないだろうか。


さて、時間も程良く過ぎ、本題の「ぶらりぶらり美術散歩イン黒羽」の会場に向かう。

「猪股英毅邸」は、250坪程の大邸宅で、今回企画のメイン会場として期間中特別に一般公開されることになった。建築の世界で「猪俣邸」といえば、吉田五十八氏設計の成城にある猪俣邸をイメージするが、黒羽の猪俣邸は今まで全く知らずにいた。

築100年と言われている町屋で、確かに内部造作は素晴らしいものがある。柱や長押などは当然としても、縁側桁丸太や縁側板の長さ、天井板などの材質はかなり入れ込んで厳選されたことが見て取れる。更に建具は、襖や障子の全てを夏障子に変えることができるストックや、鏡板戸の素晴らしい一枚板など施主の美意識が存分に発揮されている。

それにしても、重文指定も受けずこれだけのお屋敷を維持管理してゆくのは、大変な苦労があるだろうとつい感心してしまう。

猪俣邸-1 猪俣邸-2
猪俣邸-3 猪俣邸-5

猪俣邸の特徴は、低層大建築には欠かせない坪庭を挟んだ雁行配置であろう。その接続経路は廊下ではなく縁側であり、最深部に至っては格式の高い入側(畳敷きの縁側)となっている。ここまで来ると目の前が那珂川であり、鮎釣り人を眺めたり夕涼みをしていたであろうかと当時の生活が具体的なイメージとなって浮かんでくる。

猪俣邸-4 猪俣邸-6

次に向かった会場は「黒羽藍染紺屋」である。藍染の店舗なのであるが、中々おもしろい。
吹抜けの回廊、軒部分での採光と換気、土間腰壁部分の風抜き扉、展示スペースを考慮した階段など色々な工夫が、古民家風要素に通じるような一体感のある空間構成である。

紺屋-1 紺屋-2
紺屋-3 紺屋-4

他の会場の「たまち蔵屋敷」なども見学したのだが、まだ時間的に十分余裕がある。
城址公園にほど近い位置にある「大雄寺 だいおうじ」という大好きな寺を訪ねることにした。

全国的にも珍しい茅葺屋根のお寺である。総門、本堂、禅堂、庫裏が回廊で囲われていて、鐘楼も含めほとんどが茅葺であり、簡素ではあるが堂々とした大伽藍と言えるであろう。

黒羽藩主大関家の菩提寺として室町時代の建立された曹洞宗の禅寺である。大雄寺の庭に沢山の牡丹があり、毎年5月の牡丹まつりには野点やコンサートが開かれる。月2回の座禅研修はコンスタントに開催されているようだ。

大雄寺-0 大雄寺-1
大雄寺-4 大雄寺-3
大雄寺-2 大雄寺-5

近くの芭蕉の館や雲巖寺と共に、俳句に魅せられた外人さん達も多く見かけるのは「世界の黒羽」としての文化遺産が知れ渡っている証と言えよう。黒羽は何時訪れても懐かしい思いのする街である。

今回は、時間的に無理となり雲巖寺まで足を延ばせなかった。これからも時々黒羽や湯津上など「ほっとする歴史散策」に訪れようと思っている。
(阿部 泰資)

2013年5月15日水曜日

日光田母沢御用邸


ゴールデンウイークに日光田母沢御用邸を見学してきた。

御用邸は、元々皇太子時代の大正天皇の静養所として造営されたものであり、現在は日光田母沢御用邸記念公園として一般開放されている。

この建築の特筆すべきは、江戸、明治、大正の各時代に亘る、新築、再利用、移築、増築が一体の建築として調和がとれた造形美と技術にあると言えよう。
移築し中核となった建物は、紀州徳川家江戸中屋敷として造営された中心部分で、その後明治期に赤坂御所、東宮御所として利用されていたものだそうである。
この敷地の建っていた実業家の小林家別邸の再利用を含む小規模増改築により、皇太子時代の静養所となった。
更に、大正天皇即位後に大規模な増改築があり今日に至っているとのことである。


日光田母沢御用邸記念公園のサイトから抜粋

資料によると、御用邸創設時の基本設計は宮内省内匠寮の技師木子清敬が担当し、大正時代増築部の設計は同じく宮内省内匠寮の技師木子幸三郎(木子清敬の子)であったそうだ。
木造建築でこれ程の大規模建築とするための手法のひとつが中庭である。
既に江戸城で手法として中庭は良く知られていることではあるが、大小種々の中庭を体験できる機会はそうあるわけではない。
世界的にはパティオの様式・文化もあるが、日本の四季、ましてや日光の雪景色を含む四季の草木・花々のあふれた中庭は、風土を巧みに生かす日本独特の文化と言えよう。

和風木造建築でありながら、洋風の生活様式になってゆく事情に合わせて、絨毯やシャンデリアなどを採用し、見事に和洋折衷化させてゆく技術の経過が良く窺える。
今日の建築における和洋折衷の木造建築にも多大な影響を及ぼしたものであろうことは容易に推測できる。


御用邸には、天皇・皇后がお使いになる奥向きが23室、天皇・皇后の生活を補佐する臣下向きが83室の部屋数で構成されている。

御用邸全体に素晴らしい木材を使っているのであるが、特に奥向きの部屋に使われている木材は我々にとって垂涎の的である。
そして、大工、左官、建具、表具、塗装、彫金など全ての技は各時代の最高の匠によるものである。
その中でも天皇御座所は、最高の粋を集めた部屋と言えよう。






(阿部 泰資)


2013年4月9日火曜日

日本人と桜

日本人は桜が好きである。桜の開花状況と花見のニュースは春のテレビ報道の定番となっている。

日本における花見の起源は、奈良時代に貴族たちが梅を愛でる習慣を持ったことが始まりと言われている。
その後、平安時代に桜へと変わってきたのだそうで、特に吉野山は桜の名所となり持統天皇が何度も花見に訪れたとの記述もある。
更に、豊臣秀吉が醍醐で盛大な花見を開催した頃には、庶民にも花見の楽しみが身近なものになったとされている。

一方、江戸の庶民にも花見の風習が定着するのは、徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせ、花見を奨励するようになるまで待つことになる。江戸時代中期に、江戸郊外の染井村にあった植木屋が品種改良したソメイヨシノが、花見文化を広く定着させることに大きく寄与したと言えるであろう。

今日「花見」と言えば一般的にソメイヨシノを意味し、報道による桜の開花状況はソメイヨシノのそれを意味する。確かに、同時期に一斉に開花し短命の潔い散り際となるソメイヨシノは、日本人の人生観や無常観に訴えるものがある。
かつて、自称日本通のドイツ人である我が友人が桜の時期に来日した際、「世の中に 耐えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」の心情を説明することに苦労したことがある。
わずか10日前後の花見期間に、風が吹いたり雨が降ったりする毎に散ってしまうのではないかと心配になることが、日本人にとっての春の楽しみのひとつと言えよう。
しかし、日本人以外の文化圏で育った人々には、桜に対する日本人の心情は所謂「わびさび」よりも理解しにくいものであるらしい。

私も、人並みに桜が好きである。今年も何か所か花見に行った。

上野の東京都美術館に「エル・グレコ展」を観に行ったのがシルバーデーである第3水曜日の3月20日である。
今年の桜は、例年に比べ非常に開花が早く、その日、既に上野の桜は8分咲きであり、花見客が大変な数になっていた。
 
 

ソメイヨシノは受粉ができない自家不和合性の性質をもっており、桜並木は全てクローンだということが一斉開花をもたらす。
この短命さに、人々も一斉に花見に出かける。

週末の23日は、目黒川の花見に出かけた。
目黒川は細い川であり、川の両側4キロ程に植えられた800本もの桜の並木が名所となっている。
川には細い橋が何本も掛けられていて、花見の特等席である橋の上も大変な人ごみであり、時に車が横切る祭は警備員が大声を上げていた。
 
 

ソメイヨシノの桜並木も良いのだが、最近私はとみに一本立のエドヒガンやシダレザクラの大木が気に入っている。
今年は、栃木県の北部に足を延ばしてみた。どうしても花が咲いている時期の西行桜が観たいと思っていたのである。

那須近郊には、お寺の境内や墓地にはかなりの大木の桜が存在する。
それらには名前が付けられており、今回は「寺子の桜」、「山の神桜」、「法真寺の桜」そして「西行桜」を観て歩いた。


寺子の桜
山の神桜

    
法真寺の桜
西行桜

西行桜と名付けられた由来は、西行法師が奥州行脚の折、立ち寄った下野国湯の上村にある光丸山法輪寺のシダレザクラを観て、「盛りには などか若葉は 今とても 心ひかるる 糸桜かな」と詠んだ伝えられていることによる。
約800年の樹齢と言われている大木である。同境内にはエドヒガンの大木が並んで立っており、家族連れや写真ファンで賑わっていた。



西行は桜に関する歌も多く詠んでいるが、その中でも「願はくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」は、私の大好きな一首である。

新古今和歌集にある歌でも、宮廷歌人であった俊成と比較され、「春風の 花を散らすと 見る夢は 覚めても胸の 騒ぐなりけり」が、若くして出家し野に下り旅人であった西行の時空を超えた深い宗教観が感じられる歌風として有名である。

満ちた月は欠け、咲き誇る桜もやがては散ることを人生に重ね合せた日本人の無常観は、月と桜を愛した西行の歌により確立されたとみることもできるであろう。

そういえば、40年程前に良く能を観に行ったものだが、ついぞ世阿弥の能「西行桜」を観る機会には出会えなかった。余生も短くなった今、素晴らしい桜を観て歩くチャンスを大事にして行こうと考えている。

(阿部 泰資)

2013年2月8日金曜日

渋谷デザイン 2013




久しぶりのブログになります。休止期間中に関してお詫びを申し上げます。
これからは、以前のような頻度でブログを更新してゆけるよう努力してまいります。



 2013年2月1日(金)から3日間、代々木全労済スペース・ゼロ ギャラリーにおいて、東京土建 渋谷支部 設計分会主催による「渋谷デザイン 2013」が開催されました。
第2回目となる今回のテーマは「渋谷と森」です。

下記の構成による提案をしました。

■デザイナー・設計者・施工者によるデザイン展示
■子供たちからのメッセージ「渋谷と森」絵画展
■「渋谷と森」セミナー x パネルデスカッション

主催者からの案内文は下記の通りです。

3.11ショックから600日が過ぎようとしています。この間、社会は復興に伴う変革が始まり、私たちの心にも大きな変化がもたらされました。そこで、私たちのこれからの暮らし方のヒントを提案するデザイン展を昨年に引き続き開催いたします。
今年のテーマは「渋谷と森」。森林の再生、国産材や間伐材の活用、森林による治水効果、東京都の「海の森」プロジェクトなど、様々な取り組みがあります。日本の国土の約7割近くを占める「森林」と私たちが暮らす「渋谷」はどのような関係にあり、どのように関わり合ってゆくのがよいのでしょうか。
超未来的提案、現実的な提案、現在進行中の提案、新素材・工法の提案、ユニークな提案など、様々な視点から幅広い提案をいたします。

会場のスナップをご覧ください。


最終日には、午前と午後それぞれ1回「渋谷と森」をテーマにセミナーおよびパネルデスカッションが開催されました。

セミナーでは、東京都の「海の森」計画、Eテレの「森へいこうよ」の案内人による森の楽しみ方、秋川木材協同組合の沖倉製材所による「森を再生する」活動についての発表がありました。
引き続き活発な質疑応答があり、各2時間の予定を大幅に超過することになりました。
参加者のほとんどが建築に携わっていることから、それぞれの活動に触発されることも多かったようです。

(阿部 泰資)