2011年12月22日木曜日

上諏訪の片倉館


大学の親しい同期5人で恒例の温泉忘年会として、今回は上諏訪温泉を訪ねた。
その主たる目的は片倉館と5つの蔵元を巡っての試飲である。
 
片倉館はご承知の通り「あゝ野麦峠」の養蚕工場における福祉施設だ。
森山松之助氏(東京帝大造家学科)の設計で昭和2年の竣工と言われている。
片倉組二代目の片倉謙太郎氏が大正末期に視察してきた欧米における福祉施設の充実ぶりに感銘を受け、片倉館建設へとの流れが始まったと言われている。


ちなみに、森山松之助氏は日本の台湾統治時代に台湾総督府をはじめ多数の官庁建築を手がけ、日本では旧久邇宮邸、両国公会堂、新宿御苑台湾郭などの設計で知られている。

私自身約40年ぶりの片倉館であり、薄れている記憶を再確認させると共にメンテナンスや施設の運営維持に関心を寄せ訪問した。




労働者100人が同時に入浴できるようにと設計された浴槽は腰までの水深があり、通称千人風呂と呼ばれる浴室は以前とほぼ変わりなく維持されていた。
但し、部分的にはアルミが使用されておるのだが、浴室の水分を考慮すれば仕方のない対応とも言えようか。



素晴らしい空間の脱衣場や休憩室兼食堂に、健康器具や自動販売機などが無造作に置かれており大変気になるところである。
日帰り温泉施設とは言え、これだけの施設、これだけの空間を考慮し気の利いたアイデアで機器類を空間に同化させる工夫を望みたいものだ。




日帰り温泉施設として機能させていることが建築全体の維持に欠かせないものであると共に、メンテナンスの増大を併せ持つことが容易に推測できる。
現在国の重要文化財に指定されていることもあり、十分な維持管理がなされていると言えるのではないだろうか。
(阿部 泰資)

2011年12月15日木曜日

大正の近代建築


2011123日に、フォーラム「わが国の近代建築の保存と再生」に参加してきました。

今回のテーマは、第3回「大正の近代建築」ということで、最初に京都工芸繊維大学の石田潤一郎先生の「明治から大正へ:転換期の近代建築」の講演があり、引き続きジェイアール東日本建築設計事務所の田原幸夫先生の「東京駅赤レンガ駅舎:保存と復原のデザイン」に関する理念や進行状況などの説明がありました。

このフォーラムは、武庫川女子大学 東京センターの主催のもと、日本建築学会、日本建築家協会、日本建築士会連合会その他の後援があり、日本工業倶楽部会館の2階大ホールで開催され、参加者は200名を超す盛況でした。






明治期の国家の要請に沿った近代建築の特徴は西欧の技術と様式をかたくなに取り込もうとする姿勢でしたが、大正期に入ると西欧でのアールヌボーやゼツェッションなどの影響とともに脱様式、個性表現重視、芸術思考などを伴う流れとなって一時代が確立されていきました。

石田先生は、時代の流れを軸に、西欧と日本それぞれでの建築的うねりがどのように影響し、刺激し、意識的変化をもたらしてきたかということを端的に、解りやすく解説してくださいました。

東京駅赤レンガ駅舎:保存と復原のデザインの講演では、プロジェクトの理念から実施計画までの「文化財としての復原」に関する経過が解りやすく説明されました。
特に「復元」ではなく「復原」に向けたオーセンティシティの理解と検証の話にはご苦労さが良く表れており、計画の難しさを認識させられました。来年10月には完成の予定であるとか、駅舎、ギャラリー、ホテルなどのパブリックな用に供される身近な施設をじっくり観察したいものです。

講演の後、2班に分かれて丸ビル7階のテラスに行き、田原先生の解説を聞きながら屋根のみ覗くことのできる東京駅舎工事現場を眺めました。




(阿部 泰資)





2011年12月8日木曜日

栃木の「お助け蔵」と「歌麿展」


11月27日栃木の歌麿展に行ってきました。


栃木市の「栃木蔵の街美術館」に歌麿の直筆画を観に行ってきました。

美術館に改装されたこの土蔵は通称「お助け蔵」と呼ばれ、豪商釜屋(善野家)が天狗党の焼き射ちや江戸末期の物価上昇に困窮した者達への救済に米などを供出したことに由来すると言い伝えられてきました。
隣接する山車会館と共に栃木の文化を伝えて行く施設として、蔵の街栃木に相応しい美術館といえるでしょう。


喜多川歌麿は、栃木在住の近江商人釜屋(善野家)の紹介で江戸の狩野派に師事したことが浮世絵師の第一歩と言われています。

時々江戸を離れて栃木に滞在していたと推測されており、近年栃木の民家から発見された「女達磨図」「三福神の相撲図」「鐘馗図」の直筆画は栃木滞在の折に制作されたものと見られています。

直筆画の迫力には、版画による浮世絵どころでなく圧倒されます。
更に、「女達磨図」の発見時のニュース写真を知る者として、修復技術の素晴らしさには目を見張るものがありました。


 (阿部泰資)

2011年12月1日木曜日

日本橋架橋100周年祭に合わせて日本橋に行ってきました

10月29日、日本橋架橋100周年祭に合わせて日本橋に行ってきました。


明治44年に設計=米本晋一・装飾=妻木頼黄により現在の石造2連アーチ橋が架橋されました。
日本の道路原票があり、日本の道路の起点となっているばかりか、アジアハイウエー(AH-1)の起点ともなっています。


 
横浜正金銀行本店(現神奈川県立歴史博物館)や横浜新港埠頭保税倉(現横浜赤レンガ倉庫)などの設計者として知られる妻木頼黄氏のデザインによる装飾が、高速道路によって本来の輝きに満ちた記憶として人々に残っていないことが非常に残念です。
4隅の獅子像は毅然としていますが、橋中央の麒麟は翼があるものの高速道路に遮られ飛ぶことができないでいるように感じられます。
この素晴らしい橋に青空を取り戻せる日は何時になるのでしょうか。

日本橋華僑100周年の事業の一環として、今年4月に日本橋の橋詰に日本橋船着き場が完成しました。
今日も日本橋川と神田川を廻るクルーズや日本橋川から隅田川を周遊するクルーズなどが運行されており、明日の「お江戸日本橋舟運まつり」の準備も進んでいるようでした。

(阿部泰資)

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手がけている仕事の内容や、職業柄興味を持つ森羅万象について、あるいは日常や旅先で体験したことなどを不定期となりますがブログとしてアップしてまいります。

代表の阿部 泰資(一級建築士)、藤原 みどり (一級建築士)で交替で更新してまいります。 


2011.12.1 阿部 泰資