群馬は母の故郷であり、栃木は私の出身地である。
群馬県桐生市にはかつて母の実家があり、私は小学生のころ姉と二人で毎年夏休みの1ヶ月を叔父の家で過ごしていた。西の西陣・東の桐生と言われた織物の街として栄え、当時は幡屋(織物工場)も多く、道端を流れる細い水路が常に色々な色に染まっていたことを覚えている。
工場が激減したとはいえ、織物の街を前面に特色のある街として活性化を図ろうとしている。観光客向けに織物会館での展示をはじめ、現存する織物工場での工場見学や織物体験など街を挙げての「まちおこし」に取り組んでいることが見える。
工場が激減したとはいえ、織物の街を前面に特色のある街として活性化を図ろうとしている。観光客向けに織物会館での展示をはじめ、現存する織物工場での工場見学や織物体験など街を挙げての「まちおこし」に取り組んでいることが見える。


今回、私の主な目的は「桐生新町」と称されていた古い町並みを訪ねることにあった。現在の町名で本町一丁目、二丁目の本町通りに面している部分が保存地区とされている。
保存地区の入口には、味噌屋として栄えた「有鄰館」があり、蔵も見学者に開放されている。



江戸時代初期から、北端の天神様を基点に、道幅5間の通りの両側に短冊状の敷地を配し、近隣からの入植者を募集するといった当時としては珍しい計画的な街づくりであったとのことである。通りと敷地が微妙に矩手とズレており、家々のファサードが互いに醸し出すリズムが心地よい。このリズムは、我が田舎の栃木市にも見られる現象で、古い街並で時々体験するものである。
本町通りを北上すると、北の端で天神様に突き当たる。
タクシーの運転手さんには「桐生新町」が通じなかった。本町道りの北の方と言って乗車したら、有鄰館のあたりですかと聞き返された。近隣の村が合併して桐生町となった頃の地名だそうで、若い人には「桐生新町」は通じないのかも知れない。
保存地域に指定し、特定街区として環境保全に取り組んでいる合言葉として「桐生新町」という名称が広く知られれるようになってほしいものである。
(阿部泰資)

