温泉好きメンバーでの「葉桜の会温泉旅行2016年春」は会津・東山温泉である。春恒例のイベント・彼岸獅子の1週間前であり、会津は静かであった。温泉宿は中庭が自慢の「向瀧」と定めている。中庭の名物「雪灯篭」の季節は過ぎてしまっているが、中庭に面した部屋からの雪つりした庭木と雁行した建物の眺めは、かなりの趣がある。
江戸時代の中期からという歴史的宿の風情はそれなりであったと言えるが、最近我々が好んで訪れている名旅館から想定していた造作への高い期待に対して、少し物足りなさもあった。温泉好きにとって露天風呂がないのは残念だが、歴史を誇る温泉旅館にはありがちなことである。
江戸時代の中期からという歴史的宿の風情はそれなりであったと言えるが、最近我々が好んで訪れている名旅館から想定していた造作への高い期待に対して、少し物足りなさもあった。温泉好きにとって露天風呂がないのは残念だが、歴史を誇る温泉旅館にはありがちなことである。
会津には、個人的に足を運ぶことも多く、最近の3年間で4回目となる。学校での歴史教育において薩長側からの幕末・明治維新を強制された悔しさから、幕末を会津側から見直すことに嵌まっているのである。正義は薩長にではなく、会津にあったと確信しており、錦の御旗の疑わしさに至っては何をか言わんやである。
時の薩長軍に、会津をここまで追い詰め、更に降伏の後の藩士たちに過酷な処遇を強いる理由や権利がどこにあったというのであろうか。私には、日本人の歴史における大きな汚点とさえ思える。一方で個人的に、中野竹子、神保雪子、西郷千重子と一族21人など壮絶な死をとげた婦女子たちの心根にこそ日本人のアイデンティテイを見るのである。
初日には西郷千重子の夫=城代家老・西郷頼母の邸宅を復元した「会津武家屋敷」を見学した。個人的には藩校である「日新館」よりも、西郷千重子の辞世の句「なよ竹の...」に見る所謂「会津婦道」を、我が温泉旅行のメンバーに再認識してもらいたいことで選んだルートである。
平屋で280坪あるとのこと。幕末期には実質40万石あったと言われる大藩に見合う家老の屋敷と言えるのであろう。
翌日は、例によっての酒蔵見学である。今回、「末広酒蔵」さんでは丁寧な説明付での見学をさせていただいた。そして試飲させていただき、大吟醸を求めて帰るいつもの手順となる。
小雨に降られたものの、近距離を歩いて七日町通りに移動し、「満田屋」で田楽の昼食を取った。街中には古い建物を丁寧に保存しながらのお店が多いのであるが、この店は3~4尺ピッチで丸太の桁が組まれている。大スパンの構造として、昔の土蔵などに見受けられる工法であったろうか。中に1本だけの管柱は、2階にどのような重荷重があるのか興味を沸かせてくれる。
炉端焼きの味噌田楽がコースで提供され、野菜類や身欠鰊などが次々運ばれて、最後に餅ときりたんぽのようなものが出る。なるほど1食分の膳となっている。それにしても、我々呑兵衛ばかりのメンバーが文句も言わず味噌田楽を食す姿にも驚きがあった。
(阿部泰資)



